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橋まつり

〜火流しを楽しむ〜

 水橋の流し火は、全国でも珍しい最も原始的な裸火で全国でも類のない流し火であり、厳粛な火の祭典です。


 この祭りの起源は明治2年6月26日、水橋川の大河に架橋されたのを起に今日まで伝承されています。
 一夜油に漬けたこぶし大の古綿を乗せて、これに火をつけて流し、古板の上に火をつけた綿を乗せて流し、各町内より繰り出した幾十艘の小舟に若衆の笛、太鼓に囃され、幾万の火の神が海に注ぎます。その景観は正に厳粛な火の祭典そのものです。


  この葺板も時代の変遷により、屋根もトタン、瓦となり、これを確保するのに県下の各商工会にお願いして、井波、庄川、滑川、魚津よりトラックで運び、確保していましたが、入手困難となり、かと言って伝統の火を消すわけにもいかず、いろいろ試作の結果、段ボールで代用し、昭和50年頃より現在に至っています。

〜歴史を楽しむ〜

 水橋橋まつりの歴史を紐解くと、明治時代までさかのぼります。


 明治2年6月26日、多くの人々の悲願をこめて水橋川立山橋(現在の白岩川東西橋)が着工から1年余りの歳月をかけて竣工しました。
 永久橋とはいえ、木橋でしたが、当時橋を架けるということがどんなに大変なことであったか、その資金や資材集め、工事の技術など今の私たちの想像を絶するものがありました。
 ことに橋の資材として加賀藩所有の山林の伐り出しが許されましたが、運搬方法に困難を極めたため、常願寺川流域の神社境内の大木が千百本余りも無償供出されました。
 このおかげで橋の長さ136間(250m)、幅2間5尺(5.15m)の堂々たる橋が出来あがりました。


 人々はこの恵みに篤く応えたいと考え、まず、神木を伐ったことの神慮にお詫びと感謝を捧げ、また河川の将来の安泰を願って余材を使って水神社を建立して祭礼を行いました。これが、今なお続く橋まつりの由来です。

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